ヨーロッパ競馬! 〜ヨーロッパ競馬へのあくなき挑戦〜
日本人のヨーロッパ競馬への憧れ。
数々の名馬がその高き壁を乗り越えんと、
幾多の挑戦を繰り返してきました。
今でこそ、ヨーロッパ競馬秋の総決算、
『凱旋門賞』 の栄冠も手の届くところまで近づいていますが、
そこに至るまでには厳しい道程がありました。
今回は、海外遠征に挑戦してきた、
日本の馬たちを、少しだけ振り返ってみましょう。
ヨーロッパ遠征のパイオニアと言えば、『スピードシンボリ』 でしょう。
1969年、彼が7歳の時(現表記:6歳)、
イギリス、『キングジョージ6世 & クイーンエリザベスステークス』 と、
フランス、『凱旋門賞』 に挑戦しました。
結果はそれぞれ5着、着外と芳しいものではなかったものの、
まだまだ遠い存在であったヨーロッパ競馬への挑戦は、
それだけで称賛に値するものでした。
※ ちなみに、彼は帰国後に国内G1を3勝しており、
それくらい当時の日本競馬とヨーロッパの差が、
大きいものであったということがわかります。
そんな、『スピードシンボリ』 の挑戦から29年。
長き沈黙を破り、ヨーロッパのG1を制する、
日本調教馬が現れます。
『シーキングザパール』 です。
1998年夏、フランスのドーヴィル競馬場で、
行われた、『モーリス・ド・ゲスト賞』 という、
マイルG1を、鞍上・武豊で勝利しました。
その後は堰を切ったように、
日本調教馬の、海外G1勝利が続きます。
『タイキシャトル』
『エル・コンドルパサー』
『アグネスワールド』
どれも日本競馬史に名を連ねる馬ばかりです。
そして意外にも、日本産かつ、日本調教馬で、
海外G1を初めて制したのは、日本でG1を、
勝てなかった、『ステイゴールド』 でした。
クラシック距離の、『香港ヴァーズ』 を、
これもまた武豊で勝利しました。
『ナカヤマフェスタ』 や、『オルフェーヴル』 など、
彼の産駒たちが、世界を股にかけて、
激走していることを考えると、ほんとに、
胸が熱くなりますね。